
東大寺
- 読み
- とうだいじ
- 山号
- なし
- 宗派
- 華厳宗(大本山)
- 本尊
- 盧舎那仏(奈良大仏、国宝)
- 創建
- 8世紀前半
- 開基
- 聖武天皇
- 所在地
- 奈良県奈良市雑司町406-1 地図
- 札所
- 法然上人二十五霊跡 第11番(指図堂)/大和北部八十八ヶ所霊場 第12番(真言院)/南都七大寺 第1番/神仏霊場巡拝の道 第14番(奈良第1番)
- 文化財
- 金堂(大仏殿)、南大門、盧舎那仏ほか(国宝)/中門、念仏堂、大湯屋、石造獅子ほか(重要文化財)
- 世界遺産
- 「古都奈良の文化財」の構成資産
- 本山
- 華厳宗 大本山
- 国宝の建造物
- 東大寺南大門/東大寺法華堂/東大寺金堂(大仏殿)/東大寺転害門/東大寺鐘楼/東大寺開山堂/東大寺本坊経庫/東大寺二月堂
- 公式サイト
- www.todaiji.or.jp
東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある、華厳宗大本山(けごんしゅうだいほんざん)である日本の仏教寺院。山号はなし。本尊は奈良の大仏と呼ばれる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現在の別当(第224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立され、先発した東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた
出どころ: ウィキペディア「東大寺」(CC BY-SA 4.0)。記事の冒頭の要約。
この寺の仏像16点
- 十一面観音立像(小観音)
- 十一面観音立像(大観音)
- 不空羂索観音立像国宝8世紀
- 梵天立像・帝釈天立像(法華堂)国宝8世紀
- 伝日光菩薩立像・伝月光菩薩立像国宝8世紀
- 執金剛神立像国宝8世紀
- 盧舎那仏坐像(奈良の大仏)国宝752年(天平勝宝4年)開眼
- 誕生釈迦仏立像・灌仏盤国宝8世紀半ば
- 四天王立像 持国天国宝8世紀
- 良弁僧正坐像国宝1018年(寛仁2年)
- 五劫思惟阿弥陀如来坐像重要文化財鎌倉時代
- 僧形八幡神坐像国宝1201年(建仁元年)
- 地蔵菩薩立像重要文化財1203〜1205年ごろ
- 金剛力士立像 阿形国宝1203年(建仁3年)
- 金剛力士立像 吽形国宝1203年(建仁3年)
- 俊乗上人坐像国宝1206年(建永元年)ごろ
像の頁はほとけを彫るにあります。
開帳
- 僧形八幡神坐像 — 毎年10月5日の転害会にのみ開扉される。勧進所は普段は中へ入れない 次は 2026年10月5日
- 執金剛神立像 — 毎年12月16日の開山忌にのみ開扉 次は 2026年12月16日
- 良弁僧正坐像 — 良弁の命日である12月16日のみ、開山堂が公開される 次は 2026年12月16日
- 五劫思惟阿弥陀如来坐像 — 毎年10月5日のみ公開される。勧進所は普段は中へ入れない 次は 2026年10月5日
- 十一面観音立像(大観音) — 絶対秘仏。修二会を務める練行衆さえ、その姿を見ることは許されない 開扉は行われない
- 十一面観音立像(小観音) — 絶対秘仏。厨子にそもそも扉がなく、開扉はありえない 開扉は行われない
- 俊乗上人坐像 — 平素は非公開。毎年7月5日の俊乗忌と12月16日の良弁忌にのみ開扉 次は 2027年7月5日
- 俊乗上人坐像 — 12月16日の良弁忌 次は 2026年12月16日
日付はほとけを彫るの記録から。出どころは像の頁に書いてあります。